「100年食堂」としてのポレポレ

こだまができて間がないころ、

国保連への請求書をパソコンでつくるとき、

西暦を年号に換算する表が必要でした。

パソコンは西暦でうごき、

国保連は年号による書類をもとめたからです。

わたしは、これくらいさきまで換算しておけば

しばらく請求事務にはこまらないだろうと、

じゅうぶんにおもえた年数分について、一覧表を用意しました。


それから何年かたったある日、請求ソフトが計算しなくなりました。

原因をしらべると、

わたしがあらかじめ換算した年をこえたために、

計算できなくて パソコンがこまっているのでした。

こだまがこんなにつづくなんて、まったくの想定外です。

たいしたものだと感心しながら、換算の一覧表をととのえると、

パソコンは無事に計算を再開しました。


椎名誠さんのルポ、『百年食堂』をよんだことがあります。

タイトルどおり、100年以上つづいている食堂をたずね、

なぜこんなにつづいたかについて、インタビューしたものです。

ちょっとかんがえればわかるように、

お店を100年つづけるのは、そうかんたんではありません。

お店の方にはなしをきいてみると、

すごくおいしいとか、

ぜったいにつぶさないようがんばった、

というケースよりも、

理由はおもいつかないけど、ただなんとなく、

というお店のほうが、結果としてながくつづいていました。

お客へのサービスにつとめたり、おいしさにこだわる店よりも、

ちからをぬいて、ボーっとたたずまっているほうが

かえって ながくつづくなんて、

いかにもわたしごのみのはなしです。


ひるがえって、こだまの事業所についてかんがえます。

ポレポレ、そしてクッキー工房が、

もし創業100年をむかえるとしたら、

いったいどんなすがたになっているでしょうか。

なにが要因でそれだけつづいたのか。

ポレポレは、けしてボーっと

ちからをぬいているわけではないけれど、

生活介護や居宅介護事業よりも、

ポレポレにもしつよみがあるとしたら、

ビミョーな脱力感があげられます。

そして それこそが、「100年食堂」にむかう

ポレポレの鍵をにぎっている。


「100年食堂」をみればわかるとおり、

100年は、めざしてつづけられるものではありません。

あつい情熱にみちびかれて、というよりも、

ポレポレならではの「たまたま」だったり、

「なんとなく」がうまくはたらけば、

もしかしたら100年つづくかも、のほうに

わたしは一票をいれたいとおもいます。

(吉田)