火曜日に春がきました

さむい日ばかりがつづき、

気がめいってきそうな今年の冬にあって、

今週はそれでもすこしだけあたたかさをかんじました。

こうなると、身につける服もかわってきます。

いつもはごついコートを身にまとっている

クッキー班のメンバーが、

火曜日には 職員がなにもいわないうちから

コートをぬいでお弁当配達にでかけていきました。

さむいときだと、休憩室からクッキー工房までの

わずか10メートルでさえ、

いちいちコートをはおるひとなのに。

自分からコートをぬいで車にのりこんだ姿に

わたしは春のおとずれをかんじました。


つぎの日の新聞に、ふきのとうが芽をだしたと

写真があがっていました。

春はほんとうにやってきたのです。


まえの職場から運動公園へでかけたとき、

子どもたちがきゅうにはしりだしたのに

おどろいたことがあります。

その日も、今週の火曜日とおなじように、

とつぜんおとずれたおだやかなお天気でした。

子どもたちは、春のおとずれに

生物としての血がさわいだようです。

日ごろ部屋ですごす時間のおおい彼らなのに、

地上に春がおとずれたのを敏感にかんじとり、

ひとりだけでなく、集団で わーっと はしりだした光景は、

とてもうつくしいものでした。

種としての本能が、おもわずからだをうごかしたのです。


わたしは春のおとずれを、なにによって気づくのでしょうか。

このごろ目ざまし時計がならないと、

朝おきられなくなったのは、

春のおとずれでは、とおもっています。

夜のお酒がおいしいのも春のせいなのかも。

(吉田 淳)